お客さんの「自分でもできる?」について思うこと。

僕のところにくる相談案件で、回答に困るというか、正確に返しにくいのが次の流れです。

この制度、申請とかどうするの。

僕「それはこれでこうして、こうゆう制度なんで、申請は~ですね」

それって自分でできる?

僕「(今回の記事部分)〇〇ですね~」

というわけで、今回はこの相談に対して僕が考えていることを記事にしようと思いました。

商売っ気をだすなら「難しいですよ~」とかいって、依頼の流れに誘導するべきなんでしょうが、どうにもそうゆうところでブラフ?張るのは性格に合わないので、正直に答えようと思うのですが、その≪正直≫がちょっとややっこしいんですよ。

そんな、僕とお客さんのコミュニケーションの悩みのお話し。

目次

結論を先に

結論を先に述べますと、理論値としては誰でも出来るので、出来るといっても間違いはないのですが、聞かれているのは実践値としてできるかどうかであって、実践値は人によるところがあるので、なんとも言い難いです。

そして、ここで言葉ごにょごにょします。

人によっては、できるかもしれないことをできませんというのも、(あなた『には』無理という様で)なんか失礼に当たりそうですし。

この辺の感情のせめぎ合いがあるんですよね。

なので、そのような質問はされても答えが出ないので、聞かないでいただけると一番ありがたいのですが、節約心情として理解もできますから、なんとも。

制度側から見た理論値

できるかできないかを考えるうえで、まず制度の視点から考えてみましょう。

色々と手続きや制度はありますが、所詮は人が作ったものですから、人が使えないということは無いはずです。(心身の都合上、補助を要する人は除く)

社会制度として、国民に主権がある以上、各種手続きや制度は国民のためにあるわけですから、国民が使えてなんぼというものです。

許可手続きも、登記の申請も、税務申告も、究極的には訴訟手続きだって、原則的には専門家が居なければできないという制度ではなく、自分自身でできるようにはなっています。

とはいえ、これは流石に極論にすぎるというか、理想の範疇だよねと言われればその通りです。

僕はこの≪社会制度的には誰にだってできるはず≫という極論を理論値というに認識してます。

制度全体を抽象的にとらえれば、みんなできるはずという理論です。

実際に行う実践値

理論的には誰にでも出来るかもしれませんが、実際はそうはいかないことが多数あります。

現実的には、申請において難しい部分や、望む結果を得るために注意を払う部分等、手続きや制度自体の難しさに加えて、申請者さんの(失礼ながら)能力や行動力などが関与してきた先に、≪本件≫の難易度があります。

この、≪本件≫の難易度の事を僕は実践値と認識しています。
つまり、ものすごく人による。

例えば、車庫証明手続きと建設業許可の取得手続きを単純に比較すれば、前者の方が簡単です。
理由はいくつかあげられますが、端的には用意すべき書類の種類が圧倒的に前者が少ないからです。

ところが、Aさんが「車庫証明を自分でとれるか」という質問に対しては、先の難易度は意味を持ちません。
ここで重要なのは、≪Aさんが車庫証明に必要な書類を収集できるか、記載できるか、そして提出受領できる時間があるか≫という、手続きを実践できるかというAさんのマンパワーが作用する実践値の話で、正直それは誰に聞かれてもわからないのです。

余談:格闘ゲームで考える理論値と実践値

余談ですが、最近の格闘ゲームでこんな仕様があります

モダン操作:ワンボタンで必殺技が使える、ボタン連打でコンボが繋がる。
      その代わり、一部攻撃が使用不可、与ダメージ10%減。
クラシック操作:すべての攻撃が使用可能。ダメージ補正なし。
        その代わり必殺技はコマンド入力、コンボもタイミングを合わせる必要があり。

この仕様を確認すると、クラシック操作の方がよいということになります。
キャラクターの性能を100%生かせる形なので、これがキャラクターに対する理論値ということになります。
(当然ながら、プロプレイヤーが使用するのも基本はこちらです。)
そして、この理論値をつっつき合わせた先が、最強キャラだったり最弱キャラだったりするわけです。

とはいえ、実際に使ってみると結構操作が難しく、必殺技が出ない、コンボが繋がらないなんて言う自体は十分にあり得ます。
こんな状況で戦っても、実践値が低いので試合に勝つことは難しい。

所謂、最強キャラを使っても最弱キャラに負けてしまうことの大部分はここにあります。

そこで、モダン操作にすることで、一部入力のアシストを使って、実践値を底上げする…という方が、ゲームとしては楽しく遊べるという側面があります。

実際のところ、これは僕たち士業とお客さんの関係性に似てる部分もあるのかなと思ったりしてます。
お客さんサイドの理論値としては、自分で手続きができた方が、費用も掛からないし制度も周知できるので、事業活動に従前に取り組むことができます。
ただ、実践値としては、時間がなかったり手間だったり、そもそも制度がよくわからなかったりと、全てをやりきるにはちょっと難所が多いので、士業のアシストを借りた方が、生活としては楽を得られるところがあるんじゃないかなと思う次第で。

中間点:最善のできる

一度中間点

質問に対する回答として、現状を整理して言えば「できる、出来ないの次元で言えば≪できる≫と思いますが、その≪できる≫がお客さんにとって最善の≪できる≫ではないかもしれない」という話になります。

できるに最善も最悪もあるのかという話ですが、細かく見ていくと、落とし穴ってあるもんですよ。

手続の落とし穴:自白

一例として、自白を見てみましょう。

自白…と聞くと、刑事ドラマでの取り調べシーンが思い浮かぶ人は多いと思います。
電気スタンド向けられながら、「やったんだろ?やったといえ」とか、かつ丼餌にされたりみたいな。

そんなイメージなので、自白=警察関係と思われるかもしれませんが、実は自白って普通に手続きで起こりえることなんですよね。

(証明することを要しない事実)
第百七十九条裁判所において当事者が自白した事実及び顕著な事実は、証明することを要しない

こんな形で、民事訴訟法にも出てきます。

この引用は裁判の運用に関わるルールとしての自白ですが、行政手続きなどでも「自白」を扱われることがあります。

悪いことは黙っておけ…という気はないですが、言わなくてもいいことを言ったり、勘違いから異なる事実を述べてしまった場合でも、それらは自白として扱われる恐れがあります。

高々自白…と思う事なかれ。
役所にしろ銀行にしろ、相手方はこちらが出した情報を元に向こうの基準に沿って行動を起こします。
後々述べていることが変わるとなると、どちらかが嘘として信用を失います。
手続きの相手方の信用を失う…というのは、何一ついいことはありません。

まとめ:言葉の意味

当然ながら、僕たちにとって≪できる≫とは自白とかの落とし穴に係らずに、できることを意味します。

なので、お客さんの「自分でもできるか」はものすごく回答に困ります。

色んなリスクを受け入れて、状況結果を問わずにやることが目的ならば、できるといえるのですが、僕たちと同じ水準と意味するのであれば、それは基本できないだろうなと。

なので、同じ質問が来たら、今度からどうこたえようかな?と思ったのが、そもそもの始まりでした。

もちろん僕たちも結果を保証するわけではないので、結果を起点にできるできないを語るのも違うので。

結論的には、「わからない」が正解なんですが、コミュニケーションとしては失敗だろうなぁと。

そんなことを考えている。ということが伝われば、一応記事としては成功だとおもいますが。

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