遺言書の作り方(補論:意思能力)

今回は雑談寄りの法律談話です。かため・ふつう・やわめの「かため」

別段、詳しく知らなくても差支えは無いんですが、全くしらないまま話を進められるのも気持ちが悪いという人向け。

今回のテーマは以前ちょろっと出た「意思能力」についてです。それでは始めてみましょう。

目次

意思能力とは

「法律上の判断において自己の行為の結果を判断することができる」能力の事を【意思能力】と呼んでいます。

例えば、コンビニでおにぎりをレジに持っていき、150円支払った場合に「自分は150円を失い、おにぎり(の所有権)を得る」ことが理解できるかどうかです。

当然ながら、システマティックに上記行為ができるから意思能力があるという話しではなく、本人の意志に基づいて何のために何故、それをするのかを理解していることが肝要です。

なので、典型的な認知症の出来事である、「晩御飯を食べたかどうかわからなくなって、何度もおにぎりを買う。買ったはいいけどおなかいっぱいで食べれない。」状況では、確かにおにぎりは買えていますが、自分がなぜ買っているのか理解できていないため、意思能力を認めることは難しいといえます。

認知症が進行してからでは遺言は難しいといった理由は、この意思能力が認められにくいからです。

意思能力がない状態とは

一般的に10歳に満たない児童・泥酔者・重度の精神疾患者・認知症の者が「意思能力がない」と考えられています。

他方、遺言は15歳からできると法定されています(961条)ので、法的には単なる年齢による意思能力がない状況義務教育が終了したあたりで、おおむね無くなると理解しているといえるかもしれません。

泥酔者もなんとなく解る話ではありますよね、「あれは酒の席の話だから」という逃げ口上が成り立つのも、この考えあっての物かもしれません。
ただし、常に酒の席~が通用するか…というと、そうではないという考えもあるので、お酒には注意しましょう。
(この辺は場合分けが大変なのでスルーします)

なんにせよ、講学上「意思能力がない」状態が観念されているわけです。

意思能力がないとどうなるのか

平成後期の新民法で次のような規定が追加されました。

第三条の二 法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。

従前は、学術上当然の帰結として考えられていた「意思能力が欠けるための無効」ですが、この度正式に条文化しました。

僕が依然の記事で散々気にしていたのは、この条文です。

遺言の場合、他の条文に照らして考えてみると、意思能力に対する判定は少し甘めにはあります。
というのも、遺言は基本「誰かに利益を渡す行為であって、誰かに義務を負わせる行為ではない」であり、その利益者が不服であれば、拒否すればよい側面があるため、そこまで厳格に意思能力を求めなくても良いと解されているところはあります。(この辺は後の項目で)

とはいえ、実際遺言が活用される場面=遺言者の死亡の場面で、遺言者の作成当時の精神状態がどうだったのかを推し量ることは難しいですし、何よりどの程度意思能力があったのか、言い換えれば「遺言を行えるだけは備えていたのか」という疑義は相続人にとって百害あって一利ないです。

なので、そうした疑義をいくらか解消しておくために「証人」が付く、公正証書遺言の方が原則おススメですよとなります。

類似概念:行為能力

実は意思能力の類似概念として、「行為能力」というものがあります。ややっこしいですね。

この「行為」とは「法律行為」を指します。なので、【行為能力がある=法律行為ができる】という意味です。

なぜこの話を持ち出したかと言いますと、実は法令上、この行為能力を制限しましょうというものあります。

それが、「未成年者」であったり「(成年)後見人制度」です。聞いたことあるんじゃないでしょうか。

要は、意思能力が不安定であったり、意思能力自体はあるんだけれど社会で責任を負いきれなさそうな属性の人の行為能力を制限することで、本人や相手方を保護しようと考えられた制度です。

【制限行為能力者制度】と呼ばれたりします。

ここまでの流れの中で「16歳って遺言ができるから意思能力はありそうなのに、未成年って言われて契約できないことが多いよね?」と思われた方、実に鋭い感覚だと思います。

その未成年という枠組みこそが「行為能力を制限」する枠組みなので、契約ができないんですね。
意思能力はあるんだけど、社会的責任が難しい。

話を戻して。

(成年)後見制度の中には、本人の意思能力の程度に合わせて、いくつかバリエーションがあります。
①後見②保佐③補助の3通りです。順番に厳しい状況に置かれています。

①後見は「事理弁識能力」が欠ける常況にある場合
②補佐は「事理弁識能力」が著しく不十分である場合
③補助は「事理弁識の力」が不十分である場合

に家庭裁判所の審判を通して付与されます。

さて、この行為能力の話と遺言はちょっとだけ関係性を持っていたりします

補論の補論:事理弁識能力

上で唐突に出てきた単語「事理弁識能力」。【じりべんしきのうりょく】と読みます。

さっきまで、「意思能力」の話をしていたのに、急に謎の概念が出てきました。ややっこしいですね。

でも、条文がそう書いてるんです。俺は悪くねぇ。

この事理弁識能力についてですが、一般的には「意思能力」とほぼ同内容として理解されています。

一般的には…です。

学説上は諸説あります。
確かに態々変えて出てきた以上、なんか読み筋があるんじゃないかとか、こう理解すべきだとか喧々囂々あるもんです。

ですが、ここは立ち入ってもあまり利益がないと思うので、今回はスルーします。
かため…と言いつつ、流石に『湯気通し』は実益が少ないので。

とりあえず、当記事では事理弁識能力=意思能力として話を進めます。

遺言と制限行為能力

さて、制限行為能力者は常に遺言ができないのか?

というと、そんなことはありません。実際、未成年者の15歳から遺言を認めています。

ただし、後見を受けている人には少し厳しい要件があります。

(成年被後見人の遺言)
第九百七十三条 成年被後見人が事理を弁識する能力を一時回復した時において遺言をするには、医師二人以上の立会いがなければならない。
2 遺言に立ち会った医師は、遺言者が遺言をする時において精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状態になかった旨を遺言書に付記して、これに署名し、印を押さなければならない。ただし、秘密証書による遺言にあっては、その封紙にその旨の記載をし、署名し、印を押さなければならない。

要は、成年後見を受けている方は、お医者さんの前でしか遺言が残せないということになります。しかも2名必要。

法令上、後見が必要な場合は「~を欠く常況」とあるので、意思能力(事理弁識能力)がなければ、遺言はなしえないことを前提に、一時的に回復した例外の場合を医師に認定させる形で、遺言を認めています。

条文を逆に考える

さて、僕は遺言における意思能力に関して、少し甘めに判定が入っていると書きました。

それが、条文を逆に考えた場合です。

条文では「成年被後見人は医師の立ち合いが必要」とあります。では、保佐や補助はどうでしょうか。


原則として条文にない以上は、保佐や補助を受けている人もそれ以外の人と同じように、自己の意志で遺言を作成できると解されています。また、遺言能力について定めた962条が要同意項目を定めた民法上の条文を「適用しない」としていることから、遺言はとりわけ保護を必要としないと考えているように思います。

つまり、保佐が必要な程度に意思能力に欠けるところがあっても、遺言はなしえると読むと、他の法律行為(とりわけ、保佐・補助に関する条文に列挙されているもの)と比較して、意思能力の判定は甘めになっているといえるでしょう。

とはいえ、人の意思能力は数値化できるものではありません。
後見ほどではないけれど、保佐は受けているが、現在の意思能力(事理弁識能力)
意思能力が数値で可視化されて、何点からは遺言は書けませんとかあったら便利でしょうが、残念ながらないです。

法律上は保佐を受けていても遺言はできる。とはいうものの、実際のところ残された側が「本当に作成時は保佐で足りていたのか」なんていう遺恨を残されると面倒です。

保佐を受けているけど遺言を作りたいと思った時には、一度専門家に相談したほうが良いでしょう。

まとめ

というわけで、長くなったうえにちょっと脱線もしましたが、意思能力って何ぞやという話しでした。

ざっくりまとめると

①意思能力がないと法律行為はできない
②意思能力とは、自分の行為を法律上の意味も含めて、正しく認識できる能力のこと
③意思能力(事理弁識能力)が不十分な方向けの制限行為能力制度を受けていても、遺言は一応できる。

たぶん3はどっかで記事として独立しそうですね…。

それでは、また。

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